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なんでやねん日記

なんでやねんです

京都を離れた

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いろいろあって、京都から引っ越した。
新しい街に来てからそろそろ1ヶ月になる。

誰にでも見える場所に、些細な私の現状を書くつもりはなかったのだけれど、日記は書いてないしSNSにでさえしょうもないことばかり残している私にとって、唯一まともに文章を書いている場所はブログしかないなあと思った。ので、書く。

私には、望郷の念がない。

高校生のとき、実家を出て寮暮らしを始めた。周りの子達は家族が恋しいと泣き頻繁に実家へ帰っていたけれど、私は1、2日で慣れた。3年生のとき同じように家計が苦しかった友達と直談判して、それまで寮生には許されていなかったバイトをOKにしてもらった。そしてますます実家に帰らなくなった。

自然いっぱいの地元はとても大好きだけど、同時につまらない現実を押し付けてくる鬱陶しい存在でもあった。

私は、あの土地で何も面白いことを見付けられなかった。中学生までほぼ同じ顔ぶれで過ごした同級生たちとは、誰ともこの先一緒にいたいと思えなかった。実家のインターネットは、いつまでたってもダイアルアップ接続だった。テレビとローカル新聞が全ての情報源だった。私は話していないのに、私の進路をみんなが知っていた。

ご飯が美味しくて過ごしやすくて、でも、心の底からうんざりしていた。

京都にやってきて、いろいろな人に出会った。好きな人もいっぱいできたけど、同時に嫌いな人・苦手な人もいっぱいできた。

夏の夜、鴨川沿いの暗い歩道を歩きながら眺めたふわっと明るい賑やかな対岸。誰もが愛する書店。いつも同じランチメニューを頼む家のような喫茶店。日曜の昼から大人がお酒を飲んでいる立ち飲み屋。音楽の楽しさを教えてくれたライブハウス。つまらない話を繰り返すよっぱらい。見栄と顕示欲しかない大人たち。

金曜の夜を過ごしたバー。
美味しい料理をこれでもかと作って食べた、本とCDに埋もれた部屋。

京都を出るとき、たくさんの人が見送ってくれた。たくさんの贈り物をもらった。恐れ多い気持ちとともに、私はこの街に来てよかったという気持ちが心の底から溢れてきた。育った場所を故郷というのは自分の中でとても違和感があるのだけれど、この街は故郷だと思えた。

新しい街には何でもある。
何でもありすぎて、何を選べばいいのか分からないときがある。

自分の感性がまったく役に立たないことも、自分の感性を信じてよかったと思うこともある。1人で過ごすとても楽しい時間と、1人で過ごすとても寂しい時間がある。

どこにでもある全国チェーンの店を見付けて、京都の風景とそれに紐付けられた思い出を思い出す。良い思い出も、悪い思い出も。

でも、京都にいたときも自分の感性が役に立つときと役に立たないときがあった。
誰かといてとても楽しい時間も、とても寂しい時間もあった。
どこにでもある店を侮蔑の眼差しで見たこともあった。


どこででも生きていける。
それはきっと、ずっと昔から身に付けてきた、私の長所でもあるのだ。