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なんでやねん日記

なんでやねんです

帰省

二泊三日の予定で、実家に帰省している。とはいえ、あっという間に二日は過ぎてしまい、今は最後の夜を過ごしている。たっぷりと昼寝をしてしまって、目が冴えている。というわけで、久々にiPhoneから日記を投稿している。しばらく使っていなかったはてなtouchの機能がちょいと向上していて、ビックリ。

いつもはひとりでふらっと帰ってきて、昼間からビール飲んだりごろごろしたり本読んだり散歩したりして自由に過ごすのだけれど、今回は珍しく、友達を連れて帰省した。京都に出てから、誰かを家に連れてきたのは初めてだ。


田舎の生活、というものはこの身を持って知っていたけれど、村を知らない第三者を連れてあちこちを回っていると、新鮮な気持ちをともに味わうことができる。山に囲まれていること、水が澄んでいること、空気が新鮮なこと、食べ物が素朴でおいしいこと。いつもの帰省では味わえない体験を、私も感じることができた。

今回を含めまだ二回しか来ていない今の家は、前住んでいたとこよりも遥かに山の中で(どっちもド田舎には変わりないが)、家にいると川のせせらぎが聞こえてくる。夏とは思えないほど涼しく、ひぐらしが鳴き、山の葉がさらさらと音を奏でる。とても静かで心地よく、毎日の生活を一度、リセットしたような気になる。


あと何度、私はここにくるのだろう。実年齢を無視したように若く見える父母も、確実に歳をとっている。私も兄も、この地に戻ってくることは、おそらくない。余所者だから親類がいるわけでもない。
決して、この土地への思いが強いわけではないけれど、ここでの体験がなくなることは、私にとってそれはそれは大きな穴となるだろう。

今は一年のうち二回しか帰省していないけれど、もう少し頻繁に顔を出し、父母を安心させ、この土地の空気を体に刻む必要があるのかもしれない。
そして、できれば誰か第三者を連れて来て、この場所の思い出を持って帰ってくれないだろうか。私がここへ来れなくなっても、共通の思い出話ができるように。いつでも、新鮮な発見ができるように。

まあ、人生が順調に進むのであれば、まだまだここにはこれるだろう。こんな杞憂は無駄だ。


ただ、失くしたときに後悔はしたくない、と、そう強く感じた。感じたのだ。