なんでやねん日記

なんでやねんです

コーヒーを淹れること

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最近「コーヒーを淹れる」という行為が楽しい。陶器のドリッパーに隅を折ったフィルターをセットし、計量カップでコーヒーの粉をいれる。青いケトルの注ぎ口から湯気がもれると、まずは少しだけまんべんなく注いで、まるで粉が息をしているような気泡がプクプクと出るまで待つ。真ん中に太くお湯を注いで、のの字を書くように細くまわりに注ぐ。ガラスポットの目盛り「2」に到達するまで。次第に台所中にコーヒーの香ばしい空気が充満する。温めておいたマグカップに淹れたてのコーヒーを注ぎ、ほんの少しだけ余った分からさらに一口だけ、味見をする。なぜなら私はコーヒーを飲めない。

物心ついた頃から、コーヒーが嫌いだった。何時間も口の中に味が残るし、飲むと必ず胃もたれがする。牛乳をたっぷり注いでみたり、砂糖でごまかしたりしてみたけれどだめだった。数年前までは香りも苦手で、スターバックスさえ入れなかった。

コーヒーが飲めなくて辛いことはたくさんある。まず、どこかに訪問したときに出てくる飲み物はだいたいコーヒーだ。時折「飲み物は何がいいですか?」とか「紅茶とコーヒーどちらがお好きですか?」とか聞いてくれる人もいるが、かなり少数派。相手は100%善意でコーヒーを出してくれているのであって、無下に断ったり一口も口をつけないわけにはいかない。

もう1つは喫茶店に入れないこと。日本にある喫茶店のほとんどはメニューの先頭に「コーヒー」と記してあるくらい王道メニューであり、豆やら淹れ方やらにこだわっているお店も多い。紅茶やジュースも置いてあるけれど、いかにもコーヒーに力をいれてありますみたいなところにはとてもじゃないけれど恐れ多くて足を踏み入れられない。京都はとてもいい感じの喫茶店が多いので非常に悔しい。

でもここ数年で、行きつけの喫茶店ができた。知人に連れて行ってもらったのがきっかけで、ごはんと甘いものが美味しくて通い始めた。店主はとてもコーヒー好きでお店のコーヒーもとても美味しい(らしい)けれど、私がランチセットを頼むと食後のドリンクは何も言わずとも紅茶を用意してくれる。次第にコーヒーの香りにもなれてきて、いいにおいだなと思うようになってきた。飲むのは相変わらず無理だったけれど、ていねいにお湯を注ぐ店主の仕草をみていたら、コーヒーを淹れることに興味がわいてきた。店主にその旨を話すと、喜んで美味しい淹れ方を教えてくれた。

初めて淹れたコーヒーは驚くほどえぐみがあって苦く、一言でいうと不味かった。常連の1人にも笑顔で「不味いね」と言われた。で、冒頭に至る。こんな私でもずっと淹れ続けていればそれなりに上手になるもので、最近はそこそこの味になっている。

私は相変わらずコーヒーを飲めない。しかし私が自宅でコーヒーを淹れていると知ったら10代の私はおそらく声が上ずるほどびっくりする。はず。心境の変化とは不思議なものだとしみじみ思う。